2009年11月10日

直江兼続と高原山

NHK大河ドラマ「天地人」のお陰で、新潟魚沼、会津、山形米沢などの直江兼続ゆかりの地が観光客で混雑しているとか。西那須野からは比較的近いこともあり、近所の人達も足を運んでいるようだ。
下の写真を見て頂きたい。新幹線の通る西那須野市街地の後方に見える高原山である。見慣れた景色であり、ハンターマウンテンのスキー場もあり身近な存在である。

高原山遠望

さて、藤沢周平作品「密謀」は30年近く前に書かれた 直江兼続を主人公にした新聞連載小説である。
中にこのような部分がある。

「白河口こそ、わが上杉の興廃を決する土地となった。」兼続の手の竹は、弧を描いて南山口から下野の丘陵地帯に至る道を示し、その先の一点を指して止まった。「塩谷郡高原。ここに一万の兵を伏せる。この一軍はそれがしがひきいて行くことになろう。」(中略)そして直江兼続は、兵一万を率いて白河口のはるか前線、高原の山麓の間にひそみ、休みなく軽騎の物見を放って徳川郡の動きをさぐっていた。先発の徳川軍はすでに宇都宮に到着し、その中の先鋒の一隊は、直江隊の眼下を通り過ぎて佐久山大田原まで進出していた。

これを読むと妻夫木聡扮する直江兼続が、かつて近くまで来ていたのかと親近感を覚える。
 この時代の背景は、上杉藩が越後から会津に移封され、直後徳川家康との決戦に備えて、築城などの普請を行い、家康から糾問されて「直江状」を送り、家康の逆鱗に触れ、兵を差し向けられた時の話である。尚 家康は小山まで北上したところ、石田三成が関ヶ原で挙兵した報で、南転したため合戦とはならなかった。「幻の革籠原(皮籠原)の合戦」といわれているものである。また小山での家康主催の軍議は「小山評定」として知られている。
 この戦記には異説もあるようだが、兼続ゆかりの地として観光整備したら面白いかもしれない。
 
西那須野の情報ウェブ そすいネット
http://sosui.net/index.htm

posted by 住むなら西那須 at 12:20| Comment(0) | TrackBack(0) | 歴史 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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