2006年04月26日

新旧の交錯する道

 「原街道」は白河市からさくら市阿久津河岸までの間、奥州街道の脇街道として整備された道である。参勤交代と重なった場合の御廻米輸送の脇道として会津藩主保科正之により正保二年(1645)に開削された。(この項、小林充の原街道 http://www.ikegami-net.com/GAKUYU/harakaido/index.html から)
 2間(約3.6m)幅の細い道が現在もとぎれとぎれながらたどることができる。西那須野地区内では槻沢で分岐して二つのルートが追跡される。一つ目は槻沢から高柳の運動公園横を通り、塩原街道と交差して旧とりせんの横を通り二つ室に抜ける道。もう一つは槻沢から石林に抜けて下永田、一区町につながるルートである。二つのルートは大田原市平沢で合流する。
 一つ目のルートは旧村の槻沢から当時のススキの那須野が原を通った、いわば西那須野で最も古い歴史をもつ「街道」である、今も南郷屋地内では「会津街道下」という旧地番名に名前を残す。この「道」は西栄町地内で4年後を目途に開通予定の「中央通り東側延伸部」と交差する。現在その道路用地の一部が更地となり杭とロープで仕切られ、工事標識が立っている。奇しくも最も歴史のある「道」と新しい「道路」が交錯する。
 今も昔も「道」の便利さは変わらない。
中央通り西栄町.JPG
中央通り案内板.JPG

西那須野の情報ウェブ そすいネット
http://www.sosui.net/index.htm
posted by 住むなら西那須 at 16:02| Comment(3) | TrackBack(1) | 歴史 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
あの道にそんな歴史があったなんて驚きです!地元の歴史に興味はあるものの、調べようとまではなかなか思わないので、こういうブログがあると助かります。失礼な話ですが(汗)
Posted by ジャック at 2006年04月28日 21:17
隠れた歴史
にしなすのダウンタウン物語
http://www.sosui.net/tmo/downtown/story.htm
不如帰ネット文学記念館
http://www.sosui.net/hototogisu/hototogisuindex.htm
も是非ご覧下さい。
Posted by 住むなら西那須 at 2006年04月29日 21:51
なるほど、道路計画のために立ち退いたのですね。あの道を対向車が来ないことを祈りつつ、ひやひやしながら通るのが好きなので、道路拡張されたら嬉しい反面、旧道の名残が無くなってさみしいなあ、と思っていたところです。現「だいぜん」付近の湧水の話もはじめて聞きました。
Posted by がり2 at 2006年05月25日 18:14
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Excerpt: 奥州街道奥州街道(おうしゅうかいどう)とは、江戸時代に整備された五街道の一つ。正式には奥州道中といい、道中奉行の管轄では江戸日本橋 (東京都)|日本橋を起点として千住から陸奥白川(福島県白河市)までの..
Weblog: 街-NAVI
Tracked: 2007-08-01 09:33
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