2006年05月01日

西那須野にも中世の匂い

 西那須野地区というと明治時代になってから人が住み始めたという印象が強い。
今から数年前、当時の西那須野町は「開拓120年」を祝った。そのとき土器遺跡のある槻沢に住む知り合いが「たった120年か、オラげの方は縄文時代から住んでいるのに。」とからかっていたのを覚えている。
 先日南郷屋のKさんが亡くなった。世話好きで信望があったKさんの葬儀には沢山の人がかけつけた。式中、後ろのほうに着席する参列者の中でざわめきがとぎれず何度か斎場の係から注意された。中に「27代目なんだってよ。」という声も混じっていた。後日、自宅でご遺族にお会いした時に、興味あるお話を伺った。Kさん一家は650年も前から今の土地に住んでいる由緒ある一族で、亡くなったKさんは正真正銘のその27代目であること。現在ハードオフなどの敷地の大家さんでもあるKさん宅はその昔、西那須野駅まで他人の土地を踏まずに行き来できた大地主であったとか。足利尊氏、楠正成の南北朝時代まで家系をたどれる人がここに住んでいたとは驚きであった。
 謎解きをするとこういうことである。
そもそも 「南郷屋」の地名に残るように、古くから定住者があったこの地区は
下の湧水分布図にもあるように、那須野が原扇状地の扇端部にあたる。国道400号に面するラーメン店(旧会津っぽラーメン)付近の湧き水を水源とする「正三堀」は今も新幹線下の跨線橋あたりから地表に顔を出し、乃木参道方向へ流れている。
つまり不毛の那須野が原にあっても、湧水があり水に恵まれた土地では、人を育む環境があり、代々栄える一族を支えることができたということであろう。
 湧水分布図.JPG
 水無くしての不毛の大地にも、僅かに中世の匂いがする。

西那須野の情報ウェブ そすいネット
http://www.sosui.net/index.htm


posted by 住むなら西那須 at 15:17| Comment(0) | TrackBack(0) | 歴史 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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