2008年03月20日

西那須野と日銀総裁

 今朝の朝刊には、日銀総裁が戦後初めて空席になる。世界的な金融危機が叫ばれる今、大きな懸念が。の記事が大きく載っている。
 そういえば、旧西那須野ゆかりの日銀総裁がいたな。と俄かに思い出した。

三島弥太郎

貫禄ある肖像である。第8代日本銀行総裁 三島弥太郎氏である。
そう、三島通庸氏の長男でわずか13歳のとき、三島地区開墾の代表者として登場する。

「三島弥太郎ほか3名により、栃木県令(県知事)宛、土地払い下げの申請が出された。こうして出来た肇耕社(ちょうこうしゃ)が那須野ヶ原官有原野の民間第一号の開拓地である。(西那須野町開拓史、2000)」

彼はその後、駒場農学校を卒業し米国に7年半ほど留学。帰国後貴族院議員をへて、横浜正金銀行頭取。大正2年日銀総裁。第一次世界大戦の最中、大正8年現職で死去。
 尚弥太郎氏の孫 義温(よしやす)氏は西那須野の前身 旧狩野村の戦後初代村長。先年 町主催の開拓120年シンポジュームにお元気な姿で登場された。

余談)
若き弥太郎
 さて この写真は誰であろう。
実は、若き弥太郎氏である。
 弥太郎氏は帰国直後、大山巌元帥の娘、信子さんと結婚するが、程なく彼女の病弱から離婚する。信子さんの死後、徳富蘆花により、二人の悲恋の話が 小説「不如帰(ほととぎす)」としてベストセラーになる。

この辺の経緯は「そすいネット」の中の「不如帰ネット文学記念館」へ是非、お立ち寄りください。
http://www.sosui.net/hototogisu/hototogisuindex.htm

西那須野の情報ウェブ そすいネット
http://www.sosui.net/index.htm


posted by 住むなら西那須 at 09:50| Comment(0) | TrackBack(0) | 歴史 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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